中学生・高校生のためのオススメ哲学の本リスト

『14歳からの哲学 考えるための教科書』(トランスビュー、2003)

池田晶子さんが考えてきた様々な哲学的テーマについての問いや考察を14歳と17歳の10代の青少年に向けて真摯に同時に優しく語り問う。それぞれの節は6〜8ページ程度。平易な言葉で特定の哲学者や哲学の学派の知識やタームを用いず、具体的ではないが例を挙げながら優しく青年たちに根本的根源的な日常的哲学的問題について語りかける。だが、漢字をあまり使わず優しく易しい言葉で書かれているので、大人にとっては却って読みづらい。また、特定の哲学・哲学者の知識をほとんど使わずに丁寧に説明をしているので文章が長い。だからこそ、一方で、池田さんの他の著作以上に、あるいは違った角度やテーマから、哲学の根本問題、最大問題に迫っている部分もあり、また、問いだけではなく、哲学のプロセスや根拠や例が示されていて、池田さんの答えや若い人と未来への希望、願いも書かれている、そして、感動的な部分もいくつかある(特に二部の後半)。

全体は三部に分かれ、一部では哲学の形而上学的な基礎的原理的な問題、二部では社会的応用的な問題を扱う。三部では17歳へ向けて現在問題になっている哲学的トピックについて易しく池田さん独自の考えを述べる。

最初の「考える 1–3」では、様々なことを「思う」だけではなく「考える」ことで、「正しいこと」=真理やコモンセンス、規順にたどり着くということがあること。「考える」ことを尊重することで自分も他者も自由になれるということ。その「誰にとっても正しいこと」、自分もみんなも生きていて考えているという不思議な感じを考えること=哲学を考えることが本当に生きることだと述べる。

「言葉 1–2」では、プラトンのイデア論、記号学、ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論的な観点から言葉の意味や抽象概念の不思議について提示する。そして、言葉が現実を作るのであり、言葉によって真剣に「正しい」こと「美しい」こと考えなければ、それらを知ること得ることはできないとする。

「死を考える」では、死は「有無」の不思議の問題であるから、死は無であり、無は無いから、「無いということ」は有るとも無いともいうことができる。人は死についてわかることができないと教える。

「心はどこにある」では、心は脳ではなく科学で捉えることはできず、どこにあるかわからない。心はある意味で人にとって全てである。心は「精神」と「感情」であり、精神によって考え、精神によって感情を観察することで自分であり自分でない心のあり方を考え続けることほど面白いことはないと述べる。

「社会」では、社会は人々の内にある観念であり物のように実在しない。社会はそれがあると思っている人々の観念が現実として現れたものに過ぎないが人々を規制する。社会は人々の観念が作ったものだから、社会を変えるには、人々の精神が変わり良くなるしかないとする。

「友情と愛情」では、孤独に耐えられない人がそれを解消するために求める友達は本当の友達ではない。孤独に耐え、自分を愛することができ、考えるという自分との対話をして哲学や思想を持っている者同士の友情こそ素晴らしいとする。

「宇宙と科学」では科学的宇宙物理学的な宇宙の存在の問題より、現象学的デカルト的な認識としての宇宙や物質の存在の謎が大切だとする。

「善悪 1–2」構築主義的な考察の一方で徳倫理学的な観点から善悪の相対性と本質性・絶対性について述べる。「よい」という言葉の意味は絶対に「よい」であるから、絶対に「よいこと」は存在し、それは人々の精神の中にある。

「人生の意味 1」では、宇宙には意味はなく、人生にも意味や理由はない。人生に意味や価値を求めることは人の誤りや弱さだが、宇宙の中で私の人生が存在することは奇跡であり、この奇跡を尊重し「有り難い」ことだと思うことが大切だと言う。最後に「存在の謎 2」では、その存在の奇跡の謎という絶対の真理を考えて生き続けること=哲学することの意義を述べる。

というように、本書は「哲学入門書」ではなく「哲学的思考の紹介書」であり、「哲学解説書」ではなく「哲学の本」であるので、だからこそ、本当の「哲学初歩」について書いている。様々な哲学的テーマについてクリティカルな哲学的センスで問いを発して、まだ思想が固定化する前の青少年に「言葉の意味の不思議」「自分や心とは何か?」「他者とその精神は本当に存在するか?」「社会や国家なんてあるのだろうか?」「「道徳」や規則は本当に正しいことなんだろうか?」「人生に意味や理由はない」といった哲学的で根本的な当たり前で不思議だが誰にでも関係する考えるべき問題を投げかけ、そして、池田さんの答えや願い、希望を伝える。

「現実は人々の理念が現れた者であり、理想を持っていれば現実は変わる、すでに変わっている」「人生の意味や目的を求めること自体が人生への覚悟がない証拠」「神は死を恐れ生の意味を求める人間がつくったもので、信じるか信じないのかという問題に過ぎずそれは存在しない」「死は無であり、無はないのだから、死を前提にして生きることはできない」など著者による論拠のない唯物論的実存主義的で独善的な決めつめも多い。だが、それを自分の精神で批判し考えることが哲学であるかもしれない。この本を哲学の理論や例を挙げながらさらに精緻に論証した著作を私は読みたい。

 けれど、戦争している国のどっちが正しいなんてことを、そもそも判断することができるものだろうか。しょせん人間のすることだ。どちらにも言い分はあるというそれだけのことだ。もしも日本に戦争が起こったとしたら、君が知るべきことは、どちらが正しいか、ということではなく、その中で自分はいかに正しく生きるのかということではないだろうか。つまり、「正しい」とは、そもそもどういうことなのか。それ以外に人間が人生で知るべきことなどあるだろうか。(p.132)

目次

I 14歳からの哲学 A(1 考える 1/2 考える 2/3 考える 3/4 言葉 1/5 言葉 2/6 自分とは誰か/7 死をどう考えるか/8 体の見方/9 心はどこにある/10 他人とは何か)
II 14歳からの哲学 B(11 家族/12 社会/13 規則/14 理想と現実/15 友情と愛情/16 恋愛と性/17 仕事と生活/18 品格と名誉/19 本物と偽物/20 メディアと書物)
III 17歳からの哲学(21 宇宙と科学/22 歴史と人類/23 善悪 1/24 善悪 2/25 自由/26 宗教/27 人生の意味 1/28 人生の意味 2/29 存在の謎 1/30 存在の謎 2)

『14歳の君へ どう考えどう生きるか』(毎日新聞社、2006)

『14歳からの哲学』の哲学的・根本的な内容と記述をより具体的で現実的・社会的な内容と記述として、分量としても表現としてもコンパクトに6章にまとめ、ある意味で分かりやすくかつ解りやすくし、学生・青少年への問いかけというより自身のエッセイとして書き直した本。内容は『14歳からの哲学』とほぼ変わらないのでどちらも読む必要はないです。『14歳からの哲学』の「考える 1–3」「人生の意味 1–2」「存在の謎 1–2」の哲学の根本的で原理的な思考や問題意識の記述が省かれていたり薄いことや、それらによって少年へ自分の精神で考えさせる方向性が弱いこと、哲学や哲学的思考を誤解する可能性もあることもあるので、私は『14歳からの哲学』の方を読むことを勧めます。

だから、もしも君が自分の人生を大事に生きたいと思うなら、言葉を大事に使うことだ。世界を創った言葉は人間を創るということを、よく自覚して生きることだ。つまらない言葉ばかり話していれば、君は必ずつまらない人間になるだろう。つまらない人間の、つまらない人生、そんなのでいいのかな?(p. 157)

目次

はじめに 14歳の君へ
I ほんとうの自分 ほんとうの友達(友愛/個性/性別/意見)
II 考えれば知ることができる(勉学/歴史/社会/道徳)
III 君は「誰」なのだろう?(戦争/自然/宇宙/宗教)
IV どう考え どう生きるか(言葉/お金/幸福/人生)
あとがき 保護者ならびに先生方へ

『はじめての哲学』藤田正勝(岩波ジュニア新書)

72歳の哲学者が若者へ向けて様々な哲学の考え方や問題を入門編として紹介する。

「第1章 生きる意味」では、自分中心の視点だけではなく人間全体、地球全体がどうなっていくべきかを考えて生きていくべきであり、それは自分の生き方にも関わるとする。また、生きる意欲が欲望にふりまわされてはならず、長い意味での人生の目標と生きがいによって達成する幸福についてよく考えて生きていくべきだとする。

「第2章「よく生きる」とは」では、ソクラテスを紹介し、富や地位でなく、プシュケー(魂)がよくある状態が「よく生きる」だという思想を述べる。次に、望ましいルールの蓄積と内面化によって「良い/悪い」という観念が生じ、利己と利他、行動の制限と他者への尊重のはざまで倫理が生じるとする。

「第3章 自己とは何か」では、いま自己が生きていることの不思議を指摘し、感情や思考、記憶の同一性であるアイデンティティによって自己は存在するとする。また、心脳問題を取り上げ、心は単に脳内の現象なのか、外部の世界や身体の反応の統合として存在するのか、という議論を紹介する。

「第4章 生と死」では、まず、生命には生物の一つの命、生気、生命体システムなど様々な定義があること、生きることは不可逆な死に向かうプロセスであることを説明する。また、死について人間はそれを直接知ることができないことが最大の問題であるが、「二人称の死」に遭遇し、そこから学ぶことで生の密度を上げることで死を意味あるものにすることができるとする。そして、「生きることに意味はない」というニヒリズムを完全に否定することはできないが、人生を意味あるものにしようとする意志を持って生き続けること、またある時は「小さな自己」によって日々の何気ない営みに生きる意味を感じ、ゆっくりと生きることで時間に身をゆだね自己を解放することが大切だとする。

「第5章 真理を探求する」では、ベーコンの4つのイドラ、帰納法と演繹法を紹介し論理的方法によって真理を見出すことの大切さを述べる。

「第6章 ほんとうにあるもの」では、まず、ものの「現象」と「実在」の問題について考えたプラトンのイデア論と古代原子論を紹介した後で、科学的認識論では客観的な「外部世界」と主観的な「意識」が分かれ、後者が二次的なものにされてしまうという問題を指摘する。しかし、私たちのリアリティでは「もの」それ自体と現象は分けられない、この二つが結びつき作られる経験が生きる意味や意欲を与え、物事に豊かな「表情」を生み出す。そして、私たちは様々なものに意味づけをしながら物の世界にも意味の世界にも生きている物と意味の「二重世界内存在」であるという。

「第7章 言葉とは何か」では、ソシュール言語学をベースにして言語の性質を説明する。言語はコミュケーションを可能にするシステムであり、言葉は物事を文節する鋳型だが、意味の喚起機能や詩歌のように「こと」の世界を切り開く可能性を持っている。

以上のように、本書では様々な哲学あるいは倫理学の領域の知見や問題が紹介されている。哲学や倫理の根源的問題に深く書かれてはいないし、考えた後の問題や疑問に対する答えや結論は書かれていないものが多く、また著者はできる限り断定を避け、読者に哲学の学説や自身の意見を押し付けはしない。内容は実践的・現実的だが抽象的で難解ではないので深いものではない、しかし、哲学を学ぶこと哲学によって思考することの面白さや意義を哲学と倫理に対する熱意によって教えてくれるよき入門書である。

 また、自分や家族だけでなく、すべての人がさまざまな可能性をもっていることに思いを馳せます。彼らもまた自分の可能性を発展させ、社会のなかで実現したいと願っています。ここから出発して、わたしたちはこれまでも、自分の周りにいる人だけでなく、すべての人をかけがえのない存在とみなし、お互いに尊重しあおうと考えてきました(中略)。この気持ちが倫理の基礎にあると考えることができます。(p.45)

「二人称の死」を通してわたしたちが学ぶことの一つは、自分の生に限界があるということです。そしてそれはわたしたちの生に大きな影響を与えます。わたしたちの生の「密度」が変わると言ってもよいかもしれません。(後略)
 「密度」が濃くなるというのは、この一瞬一瞬がかけがえのないものとして感じられるようになるということです。自分の生をできるかぎり、意義のあるものにしたいという気持ちが強くなってきます。いままでのように時間をむだに使うのではなく、かぎられた時間をむだに使うのではなく、かぎられた時間を自分のために、あるいは人のために役立つことに使いたいと考えるようになります。(p.88-89)

わたしたちの世界を、「もの」それ自体の世界と現象の世界に分けてしまうと、このわたしたちが具体的に経験していることがとらえそこなわれてしまうのではないのでしょうか。(p.145)

 わたしたちはまさにこのリアリティのなかで生きています。それがわたしたちの生を作りあげています。それがわたしたちの生活をいきいきとして張りのあるものに、また豊かなものにしてくれているのです。それでわたしたちは意欲を喚起されます。わたしたちが生きる意味を感じ、生きがいを見いだすのも、そのような世界においてのことです。(p.146)

目次

はじめに/第1章 生きる意味/第2章 「よく生きる」とは/第3章 自己とは何か/第4章 生と死/第5章 真理を探求する/第6章 ほんとうにあるもの/第7章 言葉とは何か/読書案内/あとがき

『中学生からの哲学「超」入門』竹田青嗣(ちくまプリマー新書)

まず、筆者は若い頃の挫折経験から文学、フロイト精神分析、そして哲学に出会った経緯と世界理解としての哲学の意義を述べる。次に宗教との違いから自由と欲望の相互承認としての哲学の価値について説明する。なぜ社会に法律やコードが存在し、それにどんな意味や問題があるのかを哲学的考察によって述べる。最後に筆者が構想する欲望論の実践篇によって現代社会・資本主義社会の構造を簡潔に考察する。記述は平易に書かれてはいるが大人でも内容の理解が容易ではない、現代を生きる問題としての哲学を語った入門書。

哲学って何だと聞かれると、いろんな答え方が思い浮かびます。私が気に入っているのは、それは「自分で考える方法」だ、というものです。これにつけくわえるなら、とくに自分自身について自分で深く考える方法、それが哲学のエッセンスだ、と言ってみたい。(p.60)

『自分を知るための哲学入門』竹田青嗣(ちくま学芸文庫)

前半では、筆者の青年時代の挫折経験から文学と哲学、とくにフッサールの現象学に出会い独学で学んだ経緯と、哲学が自身の思想の経験としてどんな意義があったのかを述べる。後半では、やさしく筆者の考える哲学史全体の概観の解説とその意味や価値について解説する。アリストテレスやデカルト、ヘーゲルへの批判に見られるような現象学を中心とした筆者独自の観点によってギリシャ哲学から現代哲学までの哲学の流れを概観する。そして、現代思想の相対主義、アンチヒューマニズム、不可知論といった問題を指摘し、特に現象学と実存哲学にある人間が豊かな生を生きるための言語ゲームとしての哲学の価値を提示する。

わたしによく理解できたのは、まず、生き方の最終的な「真理」などというものは原理的に存在しない、ということだった。しかし、その代りに、哲学が、自分に自身に対する自分の了解の仕方を大いに助け、それは生を豊かにするようなものだ、ということもよく受け取れた気がする。

つまり、哲学とは、自分を知り自分をよく生かすためのひとつの独自の技術(アート)だ、ということが分かったのである。(P.26-27)

目次

1 哲学”平らげ”研究会/2 わたしの哲学入門/3 ギリシャ哲学の思考/4 近代哲学の道/5 近代哲学の新しい展開/終章 現代社会と哲学

『哲学ってなんだ 自分と社会を知る』竹田青嗣(岩波ジュニア新書)

『高校生のための哲学・思想入門 哲学の名著セレクション』竹田青嗣、西研(筑摩書房)

『はじめての哲学的思考』苫野一徳(ちくまプリマー新書)

竹田青嗣から哲学を学んだ若手の気鋭の教育学者が、「さまざまな物事の本質をとらえる営み」「共通理解を見出そうと探求をつづけ」るものとしての哲学説や一般的な哲学の考え方や概念を取り上げて、実例を示しながら現実に対する考え方や実際の問題解決に役立つ思考法としての哲学を10代と若者へ向けて真摯にしかしやさしく解説していく。

第一部では、哲学と宗教、科学との違いから哲学の意義を説明する。唯一の神話から世界を説明する宗教、実験と観察によって事実の得られる事実から世界を説明する科学と違い、哲学は原理による相互的で可塑的な確かめ可能性と意味や価値の世界から物事の本質を明らかにする思考法である。第二部では、哲学説や哲学の方法を用いて「一般化のワナ」「二項対立のニセ問題」「帰謬法のディベート」「社会の始発点である欲望相関性と信念対立を乗り越える方法」「事実のみで導かれる当為、命令の思考、思考実験によるニセ問題」それらへの思考法や対処法が実例をあげて述べられる。第三部では、「恋」をテーマに本質観取と共通了解へいたるための哲学ディベートの実例が紹介される。

 僕たちに”たしかめ可能”な最後の地点、それは、今僕がこのような欲望を抱いているということ、そしてその欲望に応じて世界を認識しているということ、そこまでなのだ。(p.101)

 そうやってお互いの欲望の妥当性をたしかめ合いながら、僕たちは徐々にお互いが納得し合える”共通関心”へと思考を向かわせる必要がある。独りよがりな欲望・関心じゃなく、どちらも共有できる、もっと深い欲望・関心を考えあうのだ。(p.107)

『子どもの頃から哲学者 世界一おもしろい、哲学を使った「絶望からの脱出』苫野一徳(大和書房)

『勉強するのは何のため? 僕らの「答え」のつくり方』苫野一徳(日本評論社)

『翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいさない』永井均(ちくま学芸文庫)

夏休みの中学生・翔太と心の中を見通す猫のインサイトが哲学の教師となって対話というわかりやすい形で具体的な例や思考実験、哲学の概念や哲学説を紹介しながら、様々な哲学のアポリアについての議論をする中学生・高校生向けの哲学の本。「世界の実在」「他我の存在」「善悪の判断」「自由意志と人生の意味」など哲学の代表的なアポリアについて深い思考力と洞察力で高いレヴェルの議論がやさしい言葉で行われる。

「第一章 いまが夢じゃないって証拠はあるのか」では、「培養液の中の脳」の思考実験をきっかけにして、(睡眠中に見る)夢と現実の違いから、実在的世界の認識、客観的真実の存在、実在論と非実在論の対立と懐疑論の問題を議論する。そして、その対立を超える真理の規準の問題、実在と非実在を抱合する自然かつ超越的な視点の考え方を示す。

「第二章 たくさんの人間の中に自分という特別なものがいるとは」では、翔太の見たクラスメートたちがロボットで自分もロボットだったという夢を土台にして、他者の感覚や感情の実在の問題と感覚の共同性と相違性の問題を取り上げる。それらを他我問題や他者の存在の問題につなげ、細部のない可能世界ではなく、現実に起こった現実世界を共有する連続した時空にいる他者は実在するという。空間的に独立して存在し時間を生きる奇跡的な自分もいて、同じ時空を生きる「他人の自分」も現実世界をそれぞれの世界として生きている。

「第三章 さまざまな可能性の中でこれが正しいといえる根拠はあるのか」では、善悪の判断や道徳に絶対的な根拠はなく行為や歴史、言語使用の中でつくられることが述べられる。多数派の意見によって正しさの絶対性と客観性がつくられるが、正しいことが正しくなるように歴史はすすんできた。また、行為の中で妥当性が生まれ理性が形成され、合理性や「チャリティ原則」によって正しいということはつくられてきた。そして、言葉の意味の意味を問うことはできない、意味は言葉を使っていることの中で示される。

「第四章 自分がいまここに存在していることに意味はあるのか」では意志と欲望や人生の意味の問題について述べる。意志と欲望の振り分けに根拠はなく入れ替わりが可能であり区別もなく、自己意志は現実の行為の一つの状況でしかない。また、死は死んでいる状態が恐怖なのではなく、もう生きられないことに対する恐怖である。自分の死は、死んでいく人間たちの一つの死に過ぎないが、同時にひとつの世界そのものの消滅で他者と交換することはできない。生も死も結局は現実である。だから、存在は奇跡であり、どんな理由も因果性も及ばない。なので、人生に意味はなく、意味がないということが人生の輝きであり、人生に味わいを与えるものである。

というように、本書では、哲学の定義や意味の解説・哲学史紹介ではなく哲学的議論そのものが書かれている。中学生と高校生に向けられて書かれた本だが、やさしい表現で哲学を含めた一般・常識(コモンセンス)的な思考をひっくり返す議論、あるいはとくに三章に見られるように非常に「常識的・合理的な」議論を行い、様々な哲学説の矛盾や問題を超える地点や哲学の答えあるいは答えのない答えにまで議論が及んでいる。表紙の印象とは違って、中高生だけではなく、大人や哲学科の学生にも勧めることができる高度な哲学書である。

「(前略)それに対してね、存在と無は、生と死は、究極的にはね、話じゃないんだよ。それは、現実なんだよ。ただ、受け入れるべき現実なんだよ。」
「存在って、僕が存在してるってこと?」
「そうさ。それはほんとうの奇跡なんだよ。どんな因果性からも説明できないし、どんな理由や根拠づけも、そこにはおよばないんだ。なぜかそうだったってことから、すべては始まるんだよ。必然も偶然もあとの話さ。(後略)」(pp.249-250)

目次

はじめに
第一章 いまが夢じゃないって証拠はあるのか
第二章 たくさんの人間の中に自分という特別なものがいるとは
第三章 さまざまな可能性の中でこれが正しいといえる根拠はあるのか
第四章 自分がいまここに存在していることに意味はあるのか
第五章 死と夢
あとがき
文庫版あとがき
解説ー中島義道
『哲おじさんと学くん 世の中では隠されているいちばん大切なことについて』永井均(岩波現代文庫)

永井均さんが考えてきた「哲学の性質と意義」「独我論と他の自分としての他者」「私の意識の存在の謎と開闢としての世界」「人生の無意味さとそれを味あうこと」「善悪の相対性と道徳の必然性」などの哲学の問題群について、2ページづつの対話というわかりやすく読みやすい形式で、やさしい表現でありながら本格的な哲学の議論を行う。

『<子ども>のための哲学』永井均(講談社現代新書)

本書は「子どもための哲学」の本ではない。子どもの頃に感じた存在の謎や善悪の規準といった基礎的問題を中心として展開する全世代のための哲学入門書。

『ヨーロッパ思想入門』岩田靖夫(岩波ジュニア新書)

ギリシャ思想と一神教の源流となったヘブライ思想という二つのものの影響を基礎として実存主義までの哲学の流れとその核心を述べるユニークだがまっとうな哲学・思想入門書。

第一章「ギリシャの思想」では、コスモスという宇宙の秩序や法則から普遍的な本質を求めるギリシャの理性主義を芸術や悲劇、ギリシャ哲学から考察する。ギリシャ思想において重要なのは、個人の自由や感情ではなく、神々を理想とした宇宙の中での普遍的なもの、理念的なもの、最高で永遠の美である。第二章「ヘブライの信仰」では、ユダヤ教とキリスト教の歴史と思想を紹介しその特徴を述べる。神は無からの創造を行い、言葉を与えることによって世界を創った。神の絶対的超越性を受け入れ自己の運命の苦難をどこまでも受苦し、また、どんな他者に対しても自己を捨て、神の原理である愛を与えづづけることが善き生き方である。第三章「ヨーロッパ哲学のあゆみ」では、中世哲学から実存主義まで、哲学が、ギリシャ的な理性や理念とその自然観、一神教の神の絶対性とそれに対する生き方や神の存在根拠と性質、くわえて現実の社会やその発展の問題、それらの調和や相克を考察すること、それらを統一する原理あるいは超克する原理を見出そうとすることで展開してきた歴史が述べられる。そして、最後にユダヤ思想とハイデッガーの実存主義を結びつけ独自の神学的現象学的実存哲学をつくったレヴィナスの哲学が紹介される。

岩波ジュニア新書ですが、日本では少ない、ギリシャ思想と一神教のコアとなる考え方を簡潔に説明し、その二つをベースにして哲学を解説した比較的高度な内容の本で、大人であっても読み応えがあります。250ページのヴォリュームがあり文字は岩波ジュニア新書としては小さめです。

『哲学のすすめ』岩崎武雄(講談社現代新書)

現代社会での日常や仕事の実生活の中で哲学を知ることの意味、プラクティカルな科学的知識との関係と対比における哲学の価値である原理的な価値判断、現代の無反省な生活の中で忘れられたただの快楽ではない主体的な幸福の必要性、といった哲学の根本的だが実践的で高度な問題を平易な文章で提示し哲学者たちの議論を用いて説明する。すべての人に勧めることができる哲学の入門書であり、1966年の出版から増版が続いている講談社現代新書の発行部数ランキング10位のベストセラーである。哲学の価値と意義を真摯に説く、最も優れた本物の良き啓蒙書・「啓発書」。

われわれの生活を規定する人生観において問題となる価値判断は、まさにこの原理的な価値判断です。それは。われわれがいかなる生き方をすべきか、ということを決定する根本的な価値判断だからです。したがってそれは科学から導くことができないのです。(p.49)

目次

まえがき/1 だれでも哲学を持っている/2 科学の限界はなにか/3 哲学と科学は対立するか/4 哲学は個人生活をどう規定するか/5 哲学は社会的意義をもつか/6 哲学は現実に対して力をもつか/7 科学の基礎にも哲学がある/8 哲学は学問性をもちうるか/9 人間の有限性の自覚/むすび

『方法序説』ルネ・デカルト(岩波文庫、ちくま学芸文庫)

デカルトの知的自伝であり、ラテン語ではなく口語であるフランス語で、一般の読者のために書かれた哲学入門書。第1部では、学生時代の経験から理性に基づいた確実な真理を求める哲学を学ぶ意志を持ち、書物の学問を捨て世界から学ぶため旅に出る決意をした過程を述べる。第2部では、ドイツの炉部屋に滞在している時に発見した4つの真理発見ための規則について述べる。第3部では現実の世界を生きる3つの道徳規準について述べ、旅を終え、オランダの都市に隠れ住み哲学に本格的に取り掛かると述べる。第4部は、後に『省察』で詳細に記述される、「ワレ惟ウ、故ニ我アリ」で有名なコギト命題とそこから導かれる神の存在証明と形而上学について述べる。第5部では、デカルトの構想する物理学、天体学、光学、生物学について簡単に記述する。(当時は理学・工学・医学などは哲学の一部や発展形。)第6部では、ガリレオ事件に対するリアクションとして哲学と科学的研究の真理性と正当性について述べる。

近代哲学の原点であり、哲学の基礎的思考法やもっと優れた哲学者のその哲学の内容をコンパクトに知ることができる入門書にして哲学史上の名著。本文は全体で100ページ、重要な1部から4部までで約50ページなので初学者でも一冊を読み通すことができる。毎年、哲学を学び始める哲学科や文学部の学生が購入するので、日本で最も売れている哲学の本でもある。

『ソクラテスの弁明』プラトン (光文社古典新約文庫、岩波文庫、新潮文庫)

ソクラテスが虚偽の訴えにより裁判にかけられ、自身の哲学的論理的正しさを守り、法律に従い倫理的な正当性を保つため、哲学の根拠に基づいたその主張を変えず弁明をし謝罪も行わず、哲学的真理に従って従容として刑を受け入れ亡くなった様子を弟子のプラトンが書き残した本。中高生の読書感想文で最も読まれている哲学の本だが、私はこの本から始めて哲学を学ぶことをよいことだとは思わない。

『人生論ノート』三木清(新潮文庫、角川ソフィア文庫)

幸福や懐疑、習慣、虚栄、人間の条件、孤独、利己主義、健康、秩序、感傷、娯楽、希望、旅など様々なテーマについて、考察と批判、虚無や矛盾の認識によって人生のあり方や意味とは何か、現代人はいかによく生きるべきかを表す哲学倫理学エッセイ集。この本は太平洋戦争直前の1938年から1940年にかけて書かれ、それだからこそ、善きことや現代的生活への冷静だが強い意志が溢れている。記述は容易ではないが、何度も読み返し、理解を深め、考え続けることによって批判を含めた生涯の糧や指針となる名著であり100版以上を重ねるロングセラー。

人生がフィクションであるということは、それが何等の実在性を有しないということではない。ただその実在性は物的実在性と同じではなく、むしろ小説の実在性とほぼ同じものである。すなわち実体のないものがいかにして実在的であり得るかということが人生において、小説に置いてと同様、根本問題である。(p.45)

『はじめての哲学史 強く深く考えるために』竹田青嗣、西研(有斐閣アルマ)

フォアソクラティカからポスト構造主義やリバタリアニズム、タレスからデリダやロバート・ノージックまでの様々な哲学者・哲学の学派の要点がわかりやすくコンパクトにまとめられ、問題点も含めてアクチュアルな問いとして解説されていながら最もやさしく書かれた哲学史。

『星の王子さま』アントワーヌ・サン=テグジュペリ(新潮文庫)

童話のかたちを借りた現代社会批判・風刺であり、子どものような想像力や視線で書かれたかけがえのない純粋で美しい物語。そして、本当に大切なこととは何かを教えてくれる、大人こそが読む返すべき人生論・幸福論でもある。

「じゃあ秘密を教えるよ。とてもかんたんなことだ。ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」(p.108)

『君たちはどう生きるか』吉野源三郎(岩波文庫)

子どもたちのために小説のかたちを使って書かれた教養主義・人生論の古典。

『二十歳の原点』高野悦子(新潮文庫)

恋愛と学生運動に悩み二十年の生涯を生き抜いた立命館の学生の瑞々しさとニヒリズムが入り混じった詩的で哲学的な日記。70年代〜80年代の中高生の本棚には必ずあった200万部を超える永遠の青春の名著。

人間は完全なる存在ではないのだ。不完全さをいつも背負っている。人間の存在価値は完全であることではなく、不完全さでありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ。(p.7)