森有正の思想と概念 メモ

森有正の(実存主義的)思想

デカルトとパスカルを研究するために渡ったパリでの二十六年の間の「孤独な」生活の中でのその街や自然との直接的な接触、感覚に入ってくる事象をそのままに受け止め、既成概念を投げ捨てて物事を自分の目で見ることによって森有正の独特の思想は形成された。独りでの孤独と向き合うことはデカルトの「省察」やフッサールの「還元」のようなひとつの哲学的方法だった。パリの「密度の高い硬質のもの」に遭遇したこと、ヨーロッパの文明の偉大さから感じる「絶望」、そこから自己と日本を見つめ直すことで森は自己と「日本でしか学べないこと」を学んだ。

パリでの定住の決意の後、森は哲学的エッセーを書き始め、日常的な概念に独自の意味を与えながら思索し、デカルトの神や精神の問題を基礎としながらその哲学、合理主義や理性から離れ、森の独自の実存主義的な思想を形成していく。

森有正の思想の中心となるのはパリでの「経験」と「感覚」という概念への目覚めである。情意やエロティシズムの影をおびた関係や豊かな人間交渉を生み出しその時間が蓄積されできたパリでの「感覚」の目覚め、それは、私とものがつくり出す「感覚」や「経験」は自然や世界によって与えられた物であるということである。森の言う「感覚」とは、感覚が感覚においてわれわれが生きていることの全てがあらわるものだということである。街や建物、風景、芸術作品が単なるモノから生きがいや様々な意味を与えてくれる「もの」となること。その「感覚」が豊かになり成熟し一つのことばとして表すことができるのが「経験」である。森はヨーロッパという異なる文化の存在する場に置かれることによって、経験の内容を新たに規定していくことができた。そして、定義される「ことば」と定義する「経験」を、経験を超えながら反省し結びつける力が「精神」である。私たちは自分を超えたもの超越を求めるが結局は自分自身に帰ってくる。生きることと考えることを基礎として思想を作らなければならない。その思想をつくることで人間は個々の自分の世界を築いていくべきである。

個的なものと普遍的なものを結びつける言葉や概念が実際的に使われることによって我々は生きていかなくてはいかない。本当に言葉を使い、個人の経験と普遍的なものを結びつけ、経験に名前を与えるということが重要であり、それが本当に考えることであり本当に生きるということである。オリジナルな生き方をしようとすると、その経験に長い歴史を持った言葉をつけなければならなくなる。言葉や哲学的概念が生活と切り離されず、プラティックなものとして結びつくということが人間が生きるということである。「よく生きる」とは「よく考える」ことであり、「よく考える」とは「よく生きる」ことである。つまり、それは現実と言葉が結び合って自分の「経験」を織り成しながら生きるということである。

森有正の概念

感覚:すべての出発点であり、経験と思想の基礎であり世界やものから個人に与えられ、自然に成熟される。そこに私の生きていることの全てがあらわれてくる場。直接的な感覚の世界だけが、この世界でわれわれの触れることができるものであり、それ無しでの抽象操作はありえない。また、感覚とものは、そこにおいて我々の全ての生きていることがあわれてくる。感覚は個人のものであり、他者の感覚は自分のものにはならない。自我によって感覚があるのではなく、充実した感覚が自我が析出される根源である。

感覚の処女性:感覚が個人がものとの、名辞、命題あるいは観念を介さない、直接の接触である性質。

経験:人間の中にある一つの全体的な特別な領域、特別な生き方、あるものへの注意の集中のしかた、その人の独自の型、全体の基礎、一人の人間の本当の現実。目覚めた感覚が、一つの言葉をそれに冠することができるまで成熟すること。経験の全体が一人の人間の意味であり、経験を持っていることを経験する、あるいは私たちの現実が実は経験そのものであり、それが私自身である。経験の世界は主観的でしかないが、言葉において他者と結びつく。経験の事態が個人に与えられた時に、それを言葉で表すことによって、個の経験が普遍的な意味を持つ。内容が絶えず壊されて新しいものとして形成し直されていく。また、経験が一人の人間を形成していき、さらに経験の複合関係によって二人あるいは複数の人間を形成する。一方で、真に経験に徹する時、真の客観性や主体的には無私といえる状態が現れてくる。(森氏の定義している経験とは経験主義など従来の哲学でいわれる経験とは違う独自の概念でです。)

孤独:自由があること、自由で独立した自己があることのアンヴィバレンスとしてあるもの。経験を条件づけるものが孤独である。孤独の中でそれぞれの人は芸術の美や通常の理念を捉えなおす必要がある。

根源的孤独:死、それは自分の内部にある根源的な孤独である。

体験:経験の中の貴重なものが蓄積されて固定され、過去的なものとして現在に働きかけるもの。経験の過去の一つの地点での固定。経験の過去化。経験の「閉ざされたかたち」。

もの:言語化される前の感覚されるものや心理状態。また、単なる物ではなく、我々の理性が最後に到達したもの。音楽作品や文学作品も全体的なひとつのもの。

言葉:個人のオリジナルな経験を表すためには独創的ではない共通の言葉を使わなくてはならない。また、経験が私たちの言葉の内容を与えてくれる。共通の言葉を通して、その言葉によって個人の経験が普遍的なものになっていく。言葉は、ものと自己との間に起こる障害意識と抵抗との歴史という条件に対応する経験によって本当の言葉になる。

定義:主観的で純粋な経験の世界が言葉によって、言葉の共同的・普遍的な世界に結びつくこと。

思想:経験で得た言葉たち自体が一つの体系をなすもの。それはあらゆる人々が持っている。思索と行動の支柱。

促し:あらゆる経験を可能にする他なるものからの呼びかけ。

内面的な促し:個人に先立って存在するすでに存在している文化や世界が、個人に対してある方向へ向かう方向性を与えれくれること。伝統的・社会的なオリエンテーションが自分を超えること、自分の外へ出ることへ導いてくれる。経験以前の「何かをしなければいけない」という衝動あるいはモチベーション。

凝固:経験がいつも新しく名辞を定義するという行為。それによって経験が体験になる。

変貌:世界の変貌だけではなく、個々人の経験も変貌を遂げて、新しい視野が開かれてくること。私たちの中にあるある言葉の定義がさらに深まって、新しい意味、さらに深い意味が加えられる。また、変貌は新たな変貌を引き起こす。

時間:一つの終末的なもの。我々は時間を通じて一つの目的に向かって近づいてる。

転調・変貌:時間の中で生活をしていくことで、私たちの感覚や体質に起こる変化。

現実:経験によって見られた事実。主観的な現実ではない。

尊厳:人間が人間らしくあること。

人格:人間が尊厳を持っていること。パーソナリティ。心理学や倫理学で解体しようとしても人格は解体できず、解体しようとしてる人間もまた人格である。一つの経験は一つの人格を代表している。人間関係における人格の三要素は「敵対意識」「責任」「同情」がある。人格は自然の経験ではなく、他者との交渉としての経験から形成される。

死:私たちは死ぬために生きている。最後に立派に死ぬために、私たちは立派に生きていかなくてはならない。

信仰:ただ、神の実在を信じること、その実在が人間に要求する態度。(渡仏前)自分が知らないうちに、経験を未知の未来に向かって、将来に向かって開かせて進んで行かせるもの。(パリ時代)

参考文献

『生きること考えること』森有正(講談社現代新書)
『いかに生きるか』森有正(講談社現代新書)
『思索と経験をめぐって』森有正(講談社学術文庫)
『どこに向かって死ぬか』片山恭一(小学館文庫)